田舎講師
片田舎の塾の講師です。 生徒との悪戦苦闘の日々を綴っています。
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DATE: 2008/08/31(日)   CATEGORY: 雑記
アイスクリーム
田舎講師のあんこです。

私、あんこの職場も田舎ですが、私、あんこそのものが田舎で育った田舎人です。

最寄の駅までは自転車で約40分。駅に行くためにバスも1時間に1本。駅に着くと、電車ならぬ機動車が1時間に1本走っているかいないか、という田舎育ちです。


夏に食べるアイスクリームは、もっぱらスーパーカップでした。

恥ずかしながら、私、あんこが31アイスクリームの存在を知ったのは大学に行ってからのことでした。

初めて食べた時の衝撃は今でもハッキリと憶えています。

しかし…です。私、あんこが好きだった紫色が混じった「コットンキャンディ」というアイスクリームは最早ありません。綿飴の味がするアイスクリームでした。

それでも、31アイスクリーム自体が珍しいので、コットンキャンディが無くなってしまっても、「クッキーアンドクリーム」だとか、「キャラメルリボン」とかを食べ続けました。

今日、私、あんこは31アイスクリームの前を通ったのですが、すっかりアイスクリームを食べるのを忘れてしまいました。あまり暑くなかったかもしれません。

気付けば今日で8月も終わり。明日から9月なのですね。


来月は秋晴れの下でのコーヒーを楽しみましょう♪
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DATE: 2008/08/30(土)   CATEGORY: 雑記
外はすごい雨です。
田舎講師のあんこです。

外はすごい雨です。

隣りの町では土砂災害の警報が出されたようです。



昔、昔のお話です。

雨が好きな人がいました。

お気に入りの傘をさせるからです。

お気に入りの傘をさして出かけるのが好きな人でした。


私、あんこも雨が嫌いではありません。部屋にいる分には…です。窓から雨を見ながら煙草を吸うのは嫌いではありません。


しかし、雨が好きなあの人も、この雨では出かけるもへったくれも無いでしょう。

そんな土曜日の夜です。
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DATE: 2008/08/29(金)   CATEGORY: 応援団
応援団を考える②
田舎講師のあんこです。

今日は再び応援団にまつわるお話を。

最近、応援団OB会ではとある企画を打ち出している。応援団にとってバイブル的な漫画である『男旗』のモデルとなった埼玉県立松山高校應援團の演舞披露会である「紫薫の集い」に現役生を連れて行こうという企画だ。

OB会で連絡を取り始めた。窓口は俺が務めた。

さすがだ。さすがに高校生なのに漫画のモデルになってしまうような應援團だ。

松山高校應援團OB会で窓口になっている方は俺よりも若い。しかし、最高の礼を尽くしたメールをもらった。何回かやり取りしている内に、最終的には現役生同士で打ち合わせをさせたい、ということになった。

松山高校應援團は埼玉県六校応援団連盟に加盟しているため、外部との連絡にも高校生がなれているのだ。

正直、俺は後輩たちにこれを任せてしまうのは恐かった。

俺自身も恐かったが、連絡を取らなければならない現役生はもっと恐い思いをしていると思う。何しろ初めてのことだから。

それでも後輩は「やってみます」と引き受けてくれた。

この経験がきっと彼を育てるに違いない。

前回の応援団を考える①では、少し先輩風を吹かしてしまったが、県内では我が応援団はやはり有数のもだと思う。夏のみ結成される臨時の応援団とは根本的に違うものがある。

地元を出て他校と交流するのは今回が初めてだと思う。

『男旗』の応援団から、良い刺戟を沢山受けて欲しいと思う。

正直、OB会でも初めてのことだから、OB会窓口となった俺も、松山高校應援團OB会から礼を尽くされた連絡を貰うと、こちらが失礼なことをしてしまうのではないか、と慎重になる。簡単に言ってしまえば、恐い。しかし、現役生のためだと思い、頑張ろうと思う。現役生にも頑張って欲しい。

まとまらないが、今回はここで筆を置くこととする。
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DATE: 2008/08/29(金)   CATEGORY: コーヒー
コーヒー物語①
田舎講師のあんこです。

ほんのささいなきっかけだったんです。

私、あんこが大学院に通っていた時のことです。

隣の研究室でコーヒーをご馳走になりました。特に味がどうった、とか、そういうわけではございません。

楽しかった。

んです。

隣の研究室では、一度に大量のコーヒーをコーヒーメーカーで入れます。そうすると、戦後の炊き出しを彷彿させるかのように、院生がマグカップを持って集まってくるのです。

コーヒーと雑談の時間が流れます。

これだ!

と思いました。私、あんこの所属している研究室と、我が家に欠けていたものは!!

と思いました。

淹れましたよ。淹れましたよ。せっせと。

コーヒーメーカーでは飽き足らず、ハンドドリップでせっせと淹れましたよ。

でも、今はコーヒーを一緒に飲む戦友たちはいません。皆、遠い所にいってしまいました。


と、いうわけで、塾生の皆さん。

裏の部屋でコーヒーが飲める日は近いかもしれませんよ。
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DATE: 2008/08/28(木)   CATEGORY: 雑記
文明人に一歩近づいた。この一歩は大きい。
田舎講師のあんこです。

本日、文明人に一歩近づいてしまったあんこです。



本日、我が家にテレビが設置されました。

と、いうと何だか初めてテレビを見た『三丁目の夕日』のようですが、実は2ヶ月前にテレビが故障して、それ以来我が家ではテレビ無しの生活が営まれておりました。

「テレビが無くってどうやって生活するんですか!?」
「テレビなんかなくたって生活できます。」

ドラマ、「北の国から」の第一話の中で交わされた会話です。我が家でもこんな会話が延々と繰り返されておりました。


ただ、ドラマと逆だったのは、我が家でテレビ排斥運動を繰り広げたのは、私、あんこだったのです。

家族はみ~んな新しいテレビを欲しがっておりました。しかし、私、あんこだけは、

「いらんいらん!夜暇なら本を読みなさい。」

とか

「いらんいらん!そんなに世の中のことを知りたければラジオでも聞きなさい。」

とか

「いらんいらん!そんなにテレビが見たけりゃ電気屋さんに行きなさい。」

と、頑張ったのですが、昭和7年生れの祖父の

「朝の連続テレビ小説が見れぬ。もちろん大河ドラマも見れぬ。」

という一言で我が家に地上デジタル波対応のアンテナが設置され、液晶のテレビが導入されました。


と、いうわけで本日我が家は文明に一歩近づいたのでした。
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DATE: 2008/08/27(水)   CATEGORY: 雑記
K君。おめでとう!!
田舎講師のあんこです。

K君。おめでとう!!

K君は、私、あんこの大学の後輩です。教員を目指す好青年です。そんなK君から、今日電話をもらいました。

「3ヶ月間、高校で非常勤講師をやることになりました。」

K君。おめでとう!!期限付きで、非常勤講師は給料も安いけど、これからの人生の糧になると思います。

ご存知の方も多いかと思いますが、私、あんこも高校で講師をしていたことがあります。明日から新しい舞台へ飛び込むK君に、初日の手解きをしてあげましょう。

私、あんこの最初の授業は自己紹介でした。

「俺自身は皆さんと初めましてなので、自己紹介をします。皆さんは3年生だから、今さらかもしれないけど、俺は皆さんのことが名前も顔も一致しないので、この時間は全員に自己紹介してもらいます。そして、何かひとつ、春休みの思い出を語って下さい。そして、何か俺に質問があれば、答えられる範囲で答えますから、質問もそうぞ。」

と、初日の授業は始まりました。

質問。

出るわ出るわ。

質:「芸能人で誰に似てるって言われますか?」
答:「皆さんが俺に抱いた第一印象そのままです。多分それが正解です。」

塾生の皆様、答えはなんでしょう?多分想像通りの答えです。

質:「彼女いるんですか?」
答:「皆さんが俺の顔を見て判断した通りで間違いありません。」
女子高生の大半:「えぇぇ~かわいそぉぉ~」

…………どーも。

質:「どんな女性が好みですか?」
答:「優しい人と、料理が上手な人です。」

料理が得意な女性にはグっときます。

質:「それは具体的に誰ですか?」
答「永作博美と北斗晶。」

※優しそう=永作博美、料理が上手=北斗晶

大半の女子高生:「はぁ~!?ありえなくない!?」

質:「彼女いたことあるんですか?」
答:「あります。」
大半の女子高生:「えぇ~!?いたのぉ!?」

…………何か問題でも?



と、いう具合に初日、第一回目の授業は戦争そのものでした。


先生は私、あんこが卒業する時に、ひとつ言葉を贈って下さいました。
「生きることは戦いである。」

K君、私、あんこも君に言葉を贈りましょう。
「生きることは戦いである。」

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DATE: 2008/08/26(火)   CATEGORY: 応援団
応援団を考える①
田舎講師のあんこです。

今日は応援団のお話を。

ご存知の方が多いと思います。私、あんこは高校時代は応援団に夢中になったのでした。


今日、仕事が終わってから、先輩が我が家にいらっしゃいました。その時に出た話しをひとつ。

今日は長い長い私、あんこのつぶやきになります。

近年の応援団は俺たちが応援団だった頃とは少々違うように思う。俺たちが現役だった頃は、

茶髪禁止・ピアス禁止・腰パン禁止・だった。

茶髪が見つかれば髪を引っ張られ、ピアスが見つかれば耳を引っ張られ、腰パンが見つかれば蹴りを入れられたものだ。

しかし、近年はどうなのだろうか。

何かが違うような気がする。

近くで応援団を見たわけではないから、具体的には説明できないが、何かが変わったような気がする。

学校の先生たちは現役生たちに「ズボンが太い」とか、「学ランが短い」と、注意するという。俺たちが現役だった頃では考えられないことだ。

試合の時に少しだけ応援団を近くで見ることができた。

確かに先生たちがやかましく注意する気持ちは理解できる。腰パンでズボンを引きずって歩くからスソが敗れる、靴下が見える、おまけにYシャツが出る。上着が短ランときた日にはYシャツは非常に目立つ。

学ランと太いズボン(ドカン)は団のユニフォームだ。

そのユニフォームを大切にしなければ、だらしなく見えるのは当然だ。だから先生たちの意見も理解できてしまう。

数年前、とある後輩に、
「応援団を見ると笑ってしまう。」
と、言われたことがある。

その通りだ。

そんな格好で応援していたら当然のことだ。

陸上部の先輩からは、
「応援されたくない。」
と、言われたそうだ。

そんな格好で応援していたら当然のことだ。

しかし、中には真剣に応援に打ち込んでしまう人間もいる。

近年はあまり応援団の評判も良くなかったように感じるが、そんな中で真剣に打ち込んでいる姿を見ると、熱いものがこみ上げて来る。

楽な道ではないのかもしれない。
辛いことの方が多いのかもしれない。
評価されることは無いのかもしれない。


まとまらないが、後輩たちのこれからの活躍を祈り、筆をおくこととする。
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DATE: 2008/08/25(月)   CATEGORY: 雑記
押忍!ごっつあんです!!
田舎講師のあんこです。

今日は先輩に夕飯をご馳走になりました。

「押忍!ごっつあんです!!」

昔はご飯をご馳走になると、絶叫してました。

周りが変な目で見ることすら誇らしく絶叫してました。

でも、私、あんこは今はそんなことはできません。歳のせいなのかもしれません。

「先輩、ご馳走様でした。」

と、つぶやきました。でも、心の中では絶叫してました。

「押忍!ごっつあんです!!」
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DATE: 2008/08/23(土)   CATEGORY: 雑記
頭・顔共に悪く本人深刻に悩む。
田舎講師のあんこです。

夏風邪を引いてしまった、私、あんこは病院に行ってきました。


子どもの頃から視てくれているお医者さんの病院です。

診察の時、先生と私、あんこはお互いにちょっとおちょくったような会話をします。

皆さん、そうゆうことはしない方がお利巧さんです。


先生「お~あんこか。どこが悪いんだ?」
あんこ「いや~、顔と頭が悪くってさ。先生の腕でどっちも直してくれ~。」

2年くらい前、やはり夏風邪を引いて病院に行った時の先生と私、あんこの会話です。

ちょうどその頃からその病院では電子カルテが導入されました。電子カルテは日本語で打つので、従来のドイツ語のカルテとは違い、患者も日本語でカルテを見ることができます。

頭・顔共に悪く本人深刻に悩む。

と、電子カルテにしっかりと記録されていました。

・・・

・・・・

さて、次回はどんな記録を残してやりましょうか。
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DATE: 2008/08/22(金)   CATEGORY: 雑記
何回だって間違ったっていいじゃない。
田舎講師のあんこです。

何回だって間違ったっていいじゃない。


と思います。


本日、日本文化史の小テストが完成しました。

全15回、古代~現代までの小テストです。

大体17~18問の問題なので、15問正解で合格!合格した方はシールを貼ってください。というスタイルですが、

何回だって間違ったっていいじゃない。

そう思います。

何回も繰り返しているうちに覚える、というのも一つの方法です。はたまた、一回合格したけれども、もう一度振り返ってみる、というのも良い復習になると思います。

いきなり合格したとしても、時間が経ってからもう一回やってみるのもいいでしょう。

とにかく、何回だって間違ったっていいじゃない。

そう思います。


私、あんこは繰り返しネタに弱いです。あんまり面白くなくても、何回も繰り返されると、「・・・プッ」となってしまいます。


部活の後輩たちと出かけた時でした。

先輩と出かける時、後輩たちは助手席には座りたがりません。運転席の先輩の「お世話係」になってしまうからです。もちろん、様々な無茶振りもされます。例えば、

「何か面白いこと言って。」

とか。

ひどい無茶振りです。でも、私、あんこが繰り返しネタに弱いということを心掛けている後輩がいました。彼は進んで助手席に座り、お菓子を食べさせてくれたりします。

何で出かけたのかは憶えていません。その日も、無茶振りをしてやろうと思い、コンビにで、

「熱いお菓子を買ってきてくれ!」

と、頼むと、彼は、

「コアラのマーチングバンドを買って参りましたぁ!」

と、コアラのマーチを買って来てくれました。そして私、あんこが、コアラのマーチに手を伸ばすと、

「ピーッピッ!ピッピッピ!!」

と、マーチングバンドの指揮者の真似を大袈裟にしながらコアラのマーチを差し出すのです。

これを何回も何回も繰り返すのです。

正直、危なかったです。


話が大分それてしまいましたが、とにかく、繰り返しは重要です。
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DATE: 2008/08/21(木)   CATEGORY: 雑記
田舎講師の今朝はちょっと早かったです。
田舎講師のあんこです。

田舎講師の朝はゆっくりだったはずなのですが、今朝はちょっと早かったです。

と、いうのは、部活の後輩を昼飯に連れて行こうと思ったからです。

「すいませ~ん。今日はちょっと都合が悪いんですよ。」

だそうです。




・・・今から出勤します。
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DATE: 2008/08/21(木)   CATEGORY: 歴史
続・足利氏の天下について思うこと。
田舎講師のあんこです。

今日は、以前お話した「足利氏の天下について思うこと。」の続きです。

南北朝時代

という時代区分が日本史にはございます。

日本の皇室が、後醍醐天皇の吉野の朝廷こと南朝と、足利尊氏が擁立した光明天皇の京都の朝廷こと北朝とに分裂し、お互いが皇位継承の正当性を主張し、争っていた時代です。

南北朝時代は、三代将軍足利義満の時代に終焉を迎えます。

足利義満の斡旋により、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を譲渡し、以後の皇位は後小松天皇の系譜が就くことになり、南北朝は統一されたのです。

1392年の出来事です。(イザクニは一つ、南北朝と覚えましょう)

さて、こう見ると足利義満は朝廷のために一役かった英雄のような感じがしてしまいます。が、この南北朝時代を招いてしまったのは誰でしょうか?

足利尊氏
です。

足利尊氏は後醍醐天皇のために鎌倉幕府と戦い、建武の新政に一役かった武将ですが、後に後醍醐天皇から離反し、光厳天皇を擁立したため、後醍醐天皇は吉野に逃れ、南北朝の動乱が始まったのです。

まぁ俗っぽい表現をすると、孫の義満が祖父の尊氏のケツを拭いてやったわけですね。

時は流れ明治時代。

日本は天皇が治める国だ!天皇陛下が1番エライんだ!!という皇国史観の考えから、天皇家を分裂させ、しかも後醍醐天皇に弓を引いた足利尊氏は逆賊として評価されるようになります。


私、あんこは先生と栃木県足利市を訪れたことがあります。その時に足利を案内してくれた老人が言っていました。

「足利市出身というだけで、戦前は逆賊扱いをされた。軍隊では1発余計に殴られた。」

戦前は足利市出身というだけで、不当な差別を受けてしまうこともあったのですね。他にも老人は色々話をしてくれたはずなのですが、この一言が非常に印象深く、あんこの中に残りました。


先生は森高千里が好きだったと仰られていました。あんこは、先生を喜ばせたくて、森高千里が足利市を歌ったという「渡良瀬橋」の8cmシングルを探し回りました。

でも、先生は私、あんこの車には乗りませんでした。


床屋の角にポツンとある 公衆電話憶えてますか
きのう思わずかけたくて なんども受話器とったの
この間 渡良瀬川の川原に降りて ずっと流れみてたわ
北風がとても冷たくて 風邪をひいちゃいました

森高千里「渡良瀬橋」

エアコンの風がとても冷たくて 風邪を引いてしまったのは、私、あんこです。
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DATE: 2008/08/20(水)   CATEGORY: 雑記
おもひでぽろぽろ~映画の思い出~
田舎講師のあんこです。

今日は、映画にまつわる思い出話をひとつ。


私、あんこが学生時代に住んでいた街には映画館がありました。

毎週木曜日は、メンズデーでした。

男性は1000円で映画鑑賞ができるのです。

何回映画館に足を運んだかは憶えていません。私、あんこが一番良く憶えているのは、以前登場した今井四郎兼平と一橋殿という友人と映画館に行った時のことです。

キング・アーサー

を観た時のことです。

私、あんこは映画館に行くと、メロンソーダとキャラメルポップコーンを必ず買います。

「俺、メロンソーダとキャラメルポップね!」
と、私、あんこが言った時に、一橋殿が、
「あんこよ。大丈夫だよ。誰も君のメロンソーダはとらないから。」
と笑いながら言いました。

なんてことはない一言でした。

でも、この一言が三人の思い出なんです。

メロンソーダを飲む度に、この日のことを思い出します。

なんてことはない、本当になんてことはない一言なんです。

でも、この一言が、あの日のことを鮮明に思い出させるのです。


私、あんこは映画が好きです。

これからフラガールを観ようと思います。
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DATE: 2008/08/19(火)   CATEGORY: 雑記
お口直しをどうぞ。
田舎講師のあんこです。

今日もわけのわからないことを語ってしまったようです。

最期まで読んで下さった皆様。お口直しをどうぞ。


さあ皆ここは都会のパラダイス 踏み込んだら確定Have a naice
木漏れ日が照らしたSexyなLadyがRrady or not 悩殺最高のエリア
楽しみたけりゃ即可能 じめっとしてねぇでビッと決めようぜCome on
やっぱコンクリートの熱帯雨林 閉め切った部屋なんて絶対無理
Slowも佳境にPartyBeet 俄然今日も過剰にBodyneed
また奥のVIPじゃギャルとChill 知った顔が飲み干すラムとキール
こんな感じで日々経過 焼ける暑さも不意に低下
次第に赤や黄色で街が染まり もうすぐ短い夏の終わり

皆様、ご安心下さい。

私、あんこが歌っているわけではございません。
私、あんこがこんな生活をしているわけでもございません。

Dragon Ash Summer Tribe

という曲です。

このSummer Tribe、カップリングにKomorebi-Mixというのがございます。

私、あんこが高校2年の夏休みです。

一晩中この曲をリピートして聴いておりました。

私、あんこにとっては思い出の曲のひとつなんです。
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DATE: 2008/08/19(火)   CATEGORY: 歴史
何が正解かなんて分かりません。
田舎講師のあんこです。

私、あんこは何が正解かなんてわかりません。

今日はそんなお話をひとつ。

南京大虐殺

日中戦争中に起こった事件です。

今日の教科書には南京事件と表記されていますね。

この南京大虐殺(南京事件との表記の差はありますが、本稿では南京大虐殺で通します。私なりの考えがあるので、反対意見の方、見逃して下さい。)

日中戦争中に、中国の南京で中国軍と日本軍が衝突し、市街戦を展開しながら日本軍が南京を陥落した際に、中国軍のみではなく、南京んの一般市民まで虐殺した、という事件で、死傷者の数は未だに議論を呼んでいるわけですが。

死傷者の数が問題なのでしょうか。
死傷者の数が問題なのでしょうか。

私、あんこは本当にそう思います。

しつこいようですが、

死傷者の数が問題なのでしょうか。


私、あんこは昭和の男ですが、戦争は知りません。戦場で人間がどのような心理状態になるのかは理解することができません。

世間はオリンピックで賑わっています。

ナチスのヒトラーはベルリンオリンピックでナショナリズムを高揚させています。
ドイツの選手が沢山メダルをとったため、ゲルマン民族が優秀な民族であると、ドイツ国民のナショナリズムを高揚させています。

例えば高校野球で自分の母校を卒業生として応援する。これは普通の行為だと思います。

だからオリンピックで自国の選手を日本人として応援する。これも普通のことだと思います。

でも、ナショナリズムは時として変な方向に向かってしまう時があります。

このナショナリズムが変な方向に向かってしまった時、戦争は勃発してしまうのではいでしょうか。

少なくとも、戦前の日本の教育にはナショナリズムを高揚させていた箇所があると思います。


くどいようですが、死傷者の数が問題なのでしょうか。


私たちは、歴史から学ぶことができます。

なのに、死傷者の数が問題なのでしょうか。

私、あんこは違うと思ってしまうのです。

反対意見の方。これが私の考えなんです。色々な意見があると思います。

議論の際にはお手柔らかに願います。
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DATE: 2008/08/18(月)   CATEGORY: 雑記
[Garden] SugarSoul feat.Kenji
田舎講師のあんこです。
先ほどの長い退屈な雑記のお口直しをどうぞ。


さぁみんなここに 愛の庭に
終わりのない闇を抜けて
名もない花と風は踊る
さあみんなここで
感じたままで

さぁみんなここに 愛の庭に
終わりのない命の灯よ
名もない花に雲は語る
さあみんな感じたままyeah

皆様、ご安心下さい。

私、あんこが図太い声で歌っているわけではございません。

Sugar SoulのGardenという曲です。


昔から、昔からなんです。厳密に言うと、高校1年生の頃からです。

好きな曲なんです。
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DATE: 2008/08/18(月)   CATEGORY: 歴史
生徒から教わること。~勘合貿易に関して~
田舎講師のあんこです。

私、あんこは日本史の講師です。

でも、学校の先生や、有名予備校の講師の先生たちには遠く及びません。

生徒から教わることって結構あるんです。

今日はそんな話。退屈なお話です。


勘合貿易。

勘合貿易は室町時代に、日本~明の間で行われていた貿易のことです。明は基本的には海禁政策の外交ですから、自由貿易ではなく、限られた相手のみに貿易を許可しておりました。

室町幕府三代将軍・足利義満は明に朝貢(明に対して臣下の礼をとること)して、明との間に国交を結び、勘合貿易を開始しました。

勘合とは、説明するのが難しいのですが、明からもらった文字が入っているお札のことです。1枚のお札を半分に切ってしまい、片方は明が、もう片方は日本が所持しており、港に入った日本の船が、明の役人に札を見せて、明側の札と合わせて、文字が合致すれば、貿易を許可された日本の船、ということで港の中に入り、貿易が行えるわけです。

・・・ちょっと講師っぽいですね。

さて、続きですが。入試の際に良く問われるのは、この3点セットです。
①勘合貿易を始めたのは=足利義満
②勘合貿易を中断したのは=足利義持
③中断された勘合貿易を再開したのは=足利義教

以上が一般的に入試で狙われる箇所です。

しかし、意外や意外。

生徒が差し出した参考書にはこんなことが書かれていたのです。

勘合貿易を開始したのは足利義満ですが、義満はすでに将軍職を息子である義持に譲っており、貿易が始まった時の征夷大将軍は足利義持です。


・・・非常に難しいです。私、あんこも勉強になりました。

つまり、義満は息子である義持に将軍職を譲ってから勘合貿易を開始した、というわけなんです。

私、あんこは色々調べてみました。

そして分かったのが、

足利義満の将軍在職期間・1368年~1394年
勘合貿易の開始・1402年~

確かに、勘合貿易が始まった時には義満は征夷大将軍を息子に譲っているのです。

しかし、開始したのはあくまで足利義満です。実際、義満は将軍職を義持に譲ってからも政権を手放しはしませんでした。四代将軍・義持は父親の政策に口を挟むことはできなかったのです。しかも、義持は絶大なる権力者となった義満が大嫌いときてます。

その証拠に、父親である義満が始めた勘合貿易を、義満の死後にすぐに中断してしまうのです。

ちなみに、義持は義満が建てた「花の御所」を土で埋めてしまってます。

父親の政策はことごとく取りやめています。


しかし、生徒が私、あんこに見せた参考書はかなり有名な講師は書いたものです。と、いうことは、数ある大学の中にはイジワルな出題者がいるということでしょう。

そこで、私、あんこも様々なパターンを考えました。

①勘合貿易を開始したのは誰か=足利義満:これは問題ありませんね。
②勘合貿易を開始した征夷大将軍は誰か=足利義満:室町幕府には15人の征夷大将軍がいますが、勘合貿易を開始したのは足利義満です。言葉のニュアンスの問題ですが、例えば、
鎌倉幕府を開いた征夷大将軍は誰か、とか、生類憐みの令を出した将軍は誰か、というのと同じニュアンスです。

そして、これが難題となります。というか悪問です。
③勘合貿易が開始された時、征夷大将軍は誰でしたか=足利義持

と、いうわけです。受験生の皆さん、気をつけましょう。でも、この勘合貿易に関しては、先述した通り、

①勘合貿易を始めたのは=足利義満
②勘合貿易を中断したのは=足利義持
③中断された勘合貿易を再開したのは=足利義教

以上が1番大切なことです。

長くなってしましました。最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。

最後まで読んで下さったあなたに、感謝感激あめあられ。

最後まで読んで下さったあなたに、明日、良いことが起こりますよう、心よりお祈り申し上げます。
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DATE: 2008/08/17(日)   CATEGORY: 雑記
馬鹿という言葉は嫌いなんです。
田舎講師のあんこです。

詳しいことは良くはわかりません。

ただ、「馬鹿」という言葉が嫌いなんです。


学校の先生方。何気なくこの言葉を口に出すことが多いのではないでしょうか?

はたまた、こんなことを感じるのは私、あんこだけなのでしょうか。

私、あんこは高校の講師をしていたことがあります。その学校の職員室では、「馬鹿」とか、「ごじゃっぺ(北関東の方言、馬鹿の意味)」という言葉を生徒に投げ掛ける先生が多かったような気がします。

皆さんの先生はいかがでしょうか。

詳しいことは良くは分からないんです。

「馬鹿」という言葉自体は中国の秦の時代にできた言葉だと記憶しています。

悪名高き宦官・趙高が、秦の二代皇帝に、

「馬を献上します。」

といって鹿を連れてきたそうです。それを見た皇帝の家来たちは、

「これは馬ではなく鹿です。おふざけになっているのですか?」
「いいえ、これは趙高様が仰る通り、馬です。名馬です。」

と、激論に及んだそうです。

趙高は、こうすることによって自分の味方と敵を見定めていたのです。

鹿だ!と主張した人々は趙高によって殺されてしまいました。

これが「馬鹿」の語源だったと私、あんこは記憶しております。

この場合、どちらの側が「馬鹿」なんでしょうか。私、あんこにはそんなことは分かりません。


殺される覚悟を以てして正義を貫くことなのでしょうか。

力のある不義に対して主張を持たずに従ってしまうことなのでしょうか。


詳しいことは良く分からないのです。でも、先生が生徒のことを「馬鹿」と言うことはどうなんでしょうか。

とにかく、私、あんこは「馬鹿」という言葉はあんまり好きではないのです。
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DATE: 2008/08/16(土)   CATEGORY: 雑記
電気屋さんも苦笑い
電気屋さんは苦笑いをしていました。

それもそのはずです・・・

私、あんこは、あんこは・・・パンツ一丁だったからです。


歯磨きをしていたんです。そしたら、人の話声が聞こえてきたんです。そうぜじい様がまた何か騒いでいるんだろうと思ったんです。でも、洗面所の戸を開けると、立っていたのは電気屋さんでした。

私、あんこの家のテレビが壊れました。テレビを注文すると同時に、アンテナ工事も頼んだのです。電気屋さんは工事の下見に来てくれたのでした。

私、あんこはパンツ一丁でした。

電気屋さんは苦笑いでした。


これから出勤します。今日も戦いの始まりです。
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DATE: 2008/08/15(金)   CATEGORY: 雑記
お姉さんの子どもは大きくなっていました。
田舎講師のあんこです。

昨日、友人の今井四郎兼平と古巣の高崎を訪れました。

何か目的があったわけではありません。強いて言うならば、学生時代によく食べにいったラーメンをもう一度!という、感じでした。

でも、いきなりラーメン屋を訪れたわけではありません。最初に訪れたのは、

床屋さん

でした。私、あんこの髪を4年間面倒みてくれた床屋さんです。


床屋さんはお姉さんとお母さんでやっています。

お姉さんは一児の母です。私、あんこが大学4年生の時に生れた赤ん坊も、今は3歳になりました。

お姉さんは以前と変わらずに、顔のマッサージとパックをしてくれました。
お姉さんは以前と変わらずに今井四郎兼平の髪を切ってくれました。


月日が流れるの早いものです。

お姉さんは一児の母です。私、あんこが大学4年生の時に生れた赤ん坊も、今は3歳になりました。

私、あんこは脂っこいラーメンを食べると胃がもたれるようになりました。




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DATE: 2008/08/14(木)   CATEGORY: 歴史
旭将軍木曽義仲と今井四郎兼平
田舎講師のあんこです。

源義仲こと木曽義仲は源頼朝の従兄弟です。以仁王の令旨により平氏打倒のために立ち上がった源氏の武将です。

源義仲は信濃(現・長野県)の木曽谷で挙兵しました。そして、平氏の平維盛(たいらのこれもり)と加賀・越前の国境付近の倶利伽羅峠(くりからとうげ)で衝突しました。

昼間の戦いは五分五分でした。

義仲はそこで、夜に寝静まった平氏軍を急襲します。

ただの夜襲ではございません。

牛の角に燃え盛る松明をくくりつけて、牛に平氏の陣に突撃させたのです。平氏軍はこの牛の突撃から逃げ惑い、多くの者が崖下に転落してしまいました。

義仲は平氏軍に勝利を収め、都に軍を進めます。

しかし、都は都で養和の大飢饉の真っ最中で、食糧は無く、義仲軍は一般人から食糧を取り上げ、女をさらい・・・つまりやりたい放題でした。

挙句の果てには後白河法皇を幽閉し、強引に征夷大将軍の院宣を引き出します。

義仲は将軍となり、旭将軍(あさひしょうぐん)と呼ばれるようになります。これは、朝日のように勢い良く登る、という解釈もできますが、朝日は昇ったら沈むだけ、という解釈もあります。この旭将軍という呼び方を考えたのは義仲に幽閉されている後白河法皇ですから、後者の解釈が正しいのかもしれません。

程なく後白河法皇は源頼朝に義仲追討の院宣を下します。これにより、頼朝は鎌倉から弟である範頼・義経を派遣します。

平氏打倒のために立ち上がった源氏でしたが、源氏同士の戦いが始まったのです。

義仲軍は敗退してしまいます。都でやりたい放題だったため、兵も集まらなかったのです。


最期まで義仲と戦ったのは、妻・巴御前(ともえごぜん)木曽谷で育った幼馴染たちでした。

幼馴染の一人が、今井四郎兼平(いまいしろうかねひら)です。彼は義仲と乳人(めのと)でした。大奥という番組がありましたが、あれを見ていた人は分かり易いかもしれません。高級貴族や源氏や平氏の子どもたちは、生れるとすぐに母親から引き離され、母親と同じ頃に出産を向かえた女の人に預けられ、その女の人に育てられるのです。生みの親と育ての親がいるのです。

つまり、生れたばかりの義仲は四郎兼平の母親に預けられ、四郎兼平と共に育った血の繋がりは無い兄弟だったのです。木曽谷から最期まで一緒だったのです。

今井四郎兼平は義仲が討ち死にすると、自らも刀を飲み込み義仲の後を追ったとされています。


私、あんこが学生時代に1番仲良くしたのは今井君でした。今井君は四国・愛媛出身の武将です。四郎兼平の子孫なのかもしれません。

今日は2年振りに彼と古巣である高崎を訪れることになっています。
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DATE: 2008/08/14(木)   CATEGORY: 雑記
小さな夢、本日叶う
田舎講師のあんこです。

「新しいステレオ注文したよ。」
ザ・ブルーハーツ、「ラブレター」より。


私、あんこが中学生の頃のお話です。

友達の家に遊びに行った時のことです。その友達には高校生のお兄さんがいました。お兄さんは私たちを部屋に招いてくれました。そこで、見てしまったのです。

KENWOODのステレオを。

ずっと、ずっと欲しかったんです。

大きなステレオがある部屋に住みたかったんです。

高校生になると、部屋に大きなステレオを置いて、マルボロを吸うものだと思い込んでいたんです。


先日、オークションでステレオを落札しました。
P1010062_convert_20080814005205.jpg

本日、手元に届きました。

中学生以来の夢が叶いました。


「新しいステレオを注文したよ。僕の所へ遊びにおいで。」
ザ・ブルーハーツ、「ラブレター」より。


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DATE: 2008/08/12(火)   CATEGORY: 雑記
勉強になりました。
田舎講師のあんこです。


EXILE


エグザイルなんですね・・・

私、あんこは・・・

今日の今日まで・・・

イグザイル

だと思っておりました。


このブログを読むとは思えませんが・・・

EXILEの皆様。

大変失礼致しました。



私、あんこの先生は、卒業の際に私に言葉を贈って下さいました。

「生きることは戦いである。」

先生、私、あんこは今日も生徒たちと激しく?戦いました。

生きるって大変なことなんですね・・・。
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DATE: 2008/08/12(火)   CATEGORY: 雑記
田舎講師の漫画論
田舎講師のあんこです。

私、あんこは漫画が大好きです。

今までも、数多くの漫画に出会い、漫画に感動し、漫画に人生を左右されてきました。

そんな私、あんこが最近おススメな漫画は、

こうの史代の漫画

です。

『夕凪の町、桜の国』の作者です。

他には、『さんさん録』、『長い道』、『こっこさん』、『この世界の片隅で』、『ぴっぴら帳』などがあります。

私、あんこがこうの史代の漫画が好きな理由はひとつ。

主人公が普通の人間

と、いうことです。

私、あんこはこれまでに様々な漫画を読んできましたが、大体の漫画の主人公は「スゴイ人」でした。その「スゴイ人」が、常人ではやってのけないことをやってのける、というパターンの漫画が多かったような気がします。

でも、こうの史代の漫画では、主人公は普通の人なのです。ストーリー展開も日常の一コマ、という感じです。

ごくごくありふれた日常生活の一コマなのです。

でも、それがたまらくいいんです。自分の生活の中にも、漫画で描かれた瞬間がありそうだから・・・

なのかもしれません。


私、あんこはコーヒーが大好きです。

自分でコーヒーを淹れて、

「今日はうまくいったなぁ」

なんて喜べるようになったのは、こうの史代の漫画と出合ってからなんです。
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DATE: 2008/08/11(月)   CATEGORY: 雑記
おもひでぽろぽろ ~夏休みの思い出~
田舎講師のあんこです。

今、世間一般はいわゆる「夏休み」です。

私、あんこが高校2年の時の思い出話です。

私、あんこが通っていた学校は夏休みでも課外授業がありました。1・2年生はお盆明けから。3年生はほぼ毎日課外授業がありました。

当時から今に至るまで、私、あんこを非常にかわいがってくれる先輩がいます。部活の先輩です。


夏休みに入り、3年生が課外授業が始まった日の出来事です。

私、あんこが寝ていると、けたたましく携帯が鳴り響きました。先輩からの電話でした。
あんこ「はい。」
先輩「おう。今何してる?」
あんこ「今起きたとこっす。」
先輩「家?」
あんこ「はい。」
先輩「なぁんだ。じゃあ上○公園近いじゃん!小○井のコーヒー牛乳買ってきてくれ!!」
あんこ「え!?俺は今日は課外もないし、学校に行く予定は・・・」
先輩「おいおい、俺はお前よりも遠い所からここまで来てるんだぞ!?」
あんこ「了解しました。コーヒー牛乳ですね・・・。」

上記のようなやり取りがほぼ毎日続き、私、あんこは課外授業がなくてもほぼ毎日学校の近くの公園に通ったのでした。

そして、帰り道で毎日毎日、飽きもせずに麦チョコを買って帰りました。

学校の課外授業もそろそろ半分が終わった頃でしょうか?

学生の皆様。お勤めご苦労様です。


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DATE: 2008/08/10(日)   CATEGORY: 雑記
足利氏の天下について思うこと。
田舎講師のあんこです。

室町幕府の将軍は、足利氏により世襲されてきました。

足利氏は清和源氏の流れを汲む名門です。

鎌倉時代、源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉幕府を開いたわけですが、頼朝→頼家→実朝の三代で源氏の将軍は終焉を迎えます。

四代将軍は九条家(藤原)から迎えた頼経が摂家将軍(藤原将軍)となるわけです。

つまり、この時点で源氏の総本家は血筋が途絶えてしまったわけです。八幡太郎義家の直系の清和源氏の血筋が途絶えてしまったのです。しかし、清和源氏そのものが無くなったわけではありません。

八幡太郎義家の長男・義親の流れが直系ですが、次男・義国の流れは足利氏として脈づいていました。そして、本家の血筋が途絶えてしまったため、足利氏が清和源氏の新・棟梁となったのです。

源氏の血筋である以上、本家が無くなってしまえば、分家の足利氏でも征夷大将軍となるチャンスはあったはずですが、時代はそうは巡りません。

北条氏。

北条氏が執権として君臨し、六代将軍には宗尊親王が皇族将軍(親王将軍)として迎えられたため、源氏の新・棟梁である足利氏は出る幕もありませんでした。

八幡太郎義家は、

「七代後に天下を取る」

と遺言を残して死んだそうです。

七代後の子孫とは誰を指すのでしょうか。

清和源氏本家は、義家から数えて六代で血筋が途絶えています。

七代目は?


本家ではなく、分家である足利氏の七代後の子孫は足利家時です。

しかし、先述した通り、北条氏が執権として君臨しています。

無念だったのでしょう。家時は、

「三代の孫までに、足利氏に天下を。」

と遺言して切腹してしまいます。

この家時の孫に当たるのが、征夷大将軍として室町幕府を開く足利尊氏なのです。



私、あんこは学生だったころ、先生と一緒に栃木県足利市を訪れたことがあります。

先生は私が卒業する時に、

「生きることは戦いである。」

という言葉を下さいました。


先生、私、あんこは今日も生徒たちと戦ってきました。

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DATE: 2008/08/09(土)   CATEGORY: 雑記
続・徳川家康が好きです。
田舎講師のあんこです。

昨日に引き続き、徳川家康のお話です。

三方ヶ原の戦い(1572年)

きっと家康にとっては忘れられない戦いでしょう。

武田信玄にコテンパンにやられてしまった戦いです。

織田信長と武田信玄は同盟関係にありましたが、信玄は都に上洛し、天下人となるために信長との同盟を破棄、都への道のりの途中であり、そして信長と同盟している家康を討つために徳川領に侵攻を開始したのです。

若き日の家康は勝てる見込みのない信玄に決戦を挑みます。それが三方ヶ原の戦いです。

大切な家臣も失い、民からの信頼を失い、戦場では相当の「恐怖」を体験したことでしょう。

居城である浜松城に逃げ帰った家康は恐怖のあまり糞尿垂れ流しだったと伝えられています。

家康はこの日の屈辱を忘れぬために、やせ細り、恐怖に引きつった自分の顔を肖像画として絵師に描かせました。

このような体験が肥やしとなり、家康は天下人となったのです。


平戸藩主、松浦静山の『甲子夜話』には晩年の家康の教えが載せられています。

曰く、

人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。
不自由を常とおもへば不足なし。
こころに望みおこらば、困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思へ。
勝つ事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる。
おのれを責て人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。
慶長八年正月十五日


正直な話、私、あんこは昨日すごく嫌なことがありました。
久しぶりにへこみました。

ちょっとだけ、ちょとだけです。投げやりになっている自分に気づきました。

そんな私を生徒は励ましてくれました。

私、あんこはまだまだ家康の足元にも及びません。
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DATE: 2008/08/08(金)   CATEGORY: 雑記
徳川家康が好きです。
田舎講師のあんこです。

「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人のうち、誰が1番好きですか?」

小学校6年生の時の先生から質問されたことです。私は当時は豊臣秀吉が好きでした。
農民から天下人になった秀吉に魅力を感じたからです。


高校に入ってからは織田信長が好きでした。
あの頃は若かったので、信長のように激しく?生きていきたい!なんて思っていたのでしょう。

今はと言えば、徳川家康が好きです。
家康の生涯は、「我慢」の一言なのかもしれません。
幼い頃から今川義元の人質に取られ、桶狭間の戦いの後は独立するも信長に利用され、信長の命令で妻(築山殿)と長男(信康)を自殺させられています。

本能寺の変の後は秀吉と争い、小牧・長久手の戦いでは善戦をするも、秀吉と講和した後は秀吉に屈服する形となっています。

小田原征伐の後の国替え(三河、遠近江、駿河、信濃、甲斐→関東)は、住み慣れた故郷を捨てる、という三河武士にとっては言葉では言い表せない屈辱だったのではないでしょうか。

それでも、関ヶ原の戦いでは勝利を収め、大阪の役(冬の陣・夏の陣)で豊臣家を滅ぼし、天下人となったのです。


我慢に我慢を重ねて、天下人となったのが徳川家康です。

「人生は今この瞬間」という考え方もありますが、「今だけが人生ではない」のかもしれません。
今の結果が全てだとは、私、あんこは思いません。

家康は天麩羅を愛したようです。私、あんこも天麩羅が大好きです。

でも、私、あんこは太りやすいので、食べ過ぎには注意しなければなりません。
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