田舎講師
片田舎の塾の講師です。 生徒との悪戦苦闘の日々を綴っています。
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DATE: 2008/09/30(火)   CATEGORY: 歴史
土佐藩の身分秩序に関して考える。
田舎講師のあんこです。

今日は土佐藩に関して少し語ってみましょう。

土佐藩主は山内家です。維新の際には徳川慶喜に対して大政奉還を勧めた山内豊信(容堂)を輩出しています。

この山内家ですが、元々土佐出身だったわけではございません。元々は美濃出身で、戦国時代に信長に仕え、その後は秀吉、そして家康に仕え、関ヶ原の功として土佐藩主にまで上りつめたのが、初代土佐藩主、山内一豊(やまのうちかずとよ)です。奥さんはかの有名な千代です。機会があったらこちらの話も語りましょう。今日は土佐藩の身分秩序で。

しかし、戦国時代、土佐国は山内氏ではなく、長宗曾我部(ちょうそかべ)氏が戦国大名として君臨していたのです。あまりにも顔が美形だったため、「姫和子」とあだ名された元親が土佐を統一し、あわや四国を平定するまでに成長したのですが、秀吉に屈し秀吉からは土佐一国の支配を許されたのですが、元親の息子、盛親は関ヶ原では西軍に味方し、御家取り潰しとなっています。その後、土佐藩主に任命されたのが山内一豊なわけです。

山内一豊は自分の家臣団を率いて土佐に入国したわけですが、土佐には長宗曾我部氏の遺臣が残っておりました。

一領具足(いちりょうぐそく)と呼ばれた勇猛な長宗曾我部氏の遺臣たちです。一領具足と呼ばれた人々は、半農半武軍団です。普段は田畑を耕しながら農民と変わらない生活を営んでいましたが、田畑に出る際にも具足=鎧兜を持っていき、いざ戦ともなれば畑から城へ直行する、という家臣団でした。

主君は御家取り潰しになっても、家臣まで取り潰されるわけではありませんので、遺臣たちが土佐に残っていたのです。彼らは山内氏のことを良くは思いませんでした。良く思えるはずもありません。中には反乱を企てる一領具足もいたようです。

そこで山内一豊は一計を案じました。

山内家・長曾我部家遺臣による親睦相撲大会を企画したのです。

しかし、ただの相撲大会ではございません。相撲大会に名を借りただまし討ちです。

このだまし討ちで、反乱を企てるような有力な長曾我部氏の遺臣は討ち取られ、残った一領具足たちは山内家の家臣団に編成されたのです。しかし、山内家には山内家の家臣団もおりました。土佐入国以前から従っていた家臣たちです。

一豊は、元からの家臣を上士(じょうし)、一領具足たちを郷士(ごうし)として区別、いや…差別しました。こうして土佐藩内での支配階級である武士の間にも激しい身分秩序が誕生したのです。例を挙げると、郷士は下駄は履いてはならない、日傘を差してはならない、上士に会えば礼を取らなければならない、藩主へのお目通りはかなわない、などです。同じ武士なのにも関らず…です。


時は流れ、日本は維新を迎えます。

土佐藩は維新の際には西南雄藩として君臨し、多くの志士、そして維新後は自由民権運動の士を輩出することとなります。

例えば、板垣退助、後藤象二郎、福岡孝弟、佐々木高之などなど。彼らは上士出身です。

例えば、坂本竜馬、武市半平太、吉村寅太郎…挙げればきりが無いほどの志士を輩出しております。


しかし、維新後まで生き延びた郷士出身の志士は多くはありません。吉村のように天誅組の変で命を落としたり、池田屋事件で命を落としたり…はたまた板垣・後藤に処刑されてしまった郷士も少なくはありません。

土佐郷士の首領であった武市半平太も板垣・後藤らによって処刑されたひとりです。

土佐郷士はどのような「維新」を望んだのでしょうか。

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DATE: 2008/09/29(月)   CATEGORY: 雑記
充電完了!
田舎講師のあんこです。

外は雨が降っています。

先週はすごく辛いことがありました。

生徒の皆さんを驚かせてしまったこともあったかもしれません…。


とりあえず、私、あんこは充電完了です。ヒゲを剃ったら出勤します。
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DATE: 2008/09/26(金)   CATEGORY: 歴史
吉村寅太郎という男
田舎講師のあんこです。

たまには歴史の話をひとつ。

幕末のお話です。天誅組の変という事件がありました。

1853年のペリー来航以来、国内は尊王攘夷論と公武合体論でてんやわんやの大騒ぎ。長州藩(現山口県)は尊王攘夷の急先鋒でした。外国嫌いの孝明天皇を中心とする公家に接触し、千年王城の都、京都を攘夷一色で染めていったのです。

この長州藩の尊王攘夷運動に触発され、全国から脱藩浪士たちが京都へ集結します。志を持った志士たちです。中には「天誅」と称して幕府側の人間を殺害したり、公武合体派の公家の家へ殺害した人間の耳や手を届けたり、脅迫したりと、やりたい放題です。彼等のバックには長州藩や土佐藩の土佐勤皇党(土佐藩内部の尊王攘夷派)がいました。

しかし、1854年の日米和親条約、そして1858年の日米修好通商条約により欧米列強との貿易は開始され、幕府首脳は攘夷よりも公武合体を推し進めました。

しかし、京都の天皇・公家たちは尊王攘夷を唱えます。

そんな時、京都守護職の松平容保の会津藩と、島津久光の薩摩藩は接近し、尊王攘夷の急先鋒である長州藩を追い落としにかかります。いわゆる「八月十八日」の政変です。攘夷派の公家に反対している公家勢力を薩摩藩と会津藩で抱き込み、孝明天皇もコロっと攘夷派から公武合体派に転んでしまいます。

「八月十八日の政変」により長州藩は御所の門の警備を解かれ、三条実美ら尊王攘夷を主張した7人の公家たちと共に国へ引き上げます。

この時に困ったのは長州藩の尊王攘夷運動に触発されて京都に集結した志士たちでした。彼等は脱藩という大罪を犯して京都へ駆けつけたため、自分の国に帰ることは出来ません。脱藩は自分の主君を裏切る行為なので、見つかり次第処刑されてしまいます。

吉村寅太郎も困り果てた志士のひとりでした。

吉村寅太郎は土佐藩を脱藩し、京都へ駆けつけた志士でした。もちろん国許へは帰れません。そして、長州藩士でもありませんから、長州へ向かうことも出来ませんでした。

そこで、吉村寅太郎は無謀にも仲間を集めて幕府を倒すために大和の吉野で挙兵します。

いわゆる「天誅組の変」です。

天誅組はあっけなく幕府軍に敗れてしまいますが、最も早い段階での倒幕運動として今日に語り次がれています。


吉野山 風に乱るる紅葉葉(もみじは)は
我が打つ太刀の 血煙と見よ

吉村寅太郎の辞世の句です。

吉野山が紅葉で赤く染まったなら、吉村が戦っているのだ、と俺を思い出してくれ。と伝えたかったのでしょうか。

もうすぐ紅葉の季節です。


ここまで読んで下さった皆様。お疲れ様でした。
生徒の皆さん。幕末の流れが少しは理解できましたか?

田舎講師はもっと勉強が必要ですね。頑張ります。
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DATE: 2008/09/25(木)   CATEGORY: 雑記
おらじのじさま。
田舎講師のあんこです。

おらじのじさま。

私の家のおじいちゃん。という意味です。北関東及び東北地方南部で通用する言葉かと思われます。

秋分の日も過ぎ、日に日に秋が本格的にやって来ています。でも、私、あんこの周りにはまだちょっぴりと夏の香りが残っています。

朝顔

季節外れなのでしょうか?小学生の頃に朝顔を育てた時はもっと早くに咲いたような気がしましたが・・・。蝉の声もほとんど聞こえなくなった今、我が家に夏の香りを残しているのはこの朝顔なのです。

私、あんこは実は花が好きだったりします。種を蒔いて育っていくのを見るのが好きだったりします。実はこの朝顔は去年育てて、それを放置していたのが今年発芽したものなのです。そのせいで「おらじのじさま」は大騒ぎ。

朝顔Ⅱ

見えるでしょうか?今年はずっと放置したままだったので、じさまが育てている木につるが巻き付いているのです。そのせいでおらじのじさまは大騒ぎ。

「うぬの朝顔がワシの木に巻き付いておる!どうにかせんか!!」

私、あんこは分かっています。おらじのじさまが騒ぐ振りをして、孫に絡むのを楽しみにしていることを。だから私、あんこは食後の一服はじさまと付けるようにしています。
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DATE: 2008/09/25(木)   CATEGORY: 雑記
飲まずにはいられません。
田舎講師のあんこです。

今日は、今日は飲まずにはいられません。



今夜はそんな夜なんです。


でも、私、あんこは負けません!

今夜だけ…です。
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DATE: 2008/09/23(火)   CATEGORY: 雑記
何だかんだで今日も幸せだったような気がします。
田舎講師のあんこです。

出勤する途中で思わず車を止めてしまいました。
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DATE: 2008/09/21(日)   CATEGORY: 雑記
自分だけの金メダル。
田舎講師のあんこです。

塾生の皆様、模試お疲れ様でした。

結果がどうであれ、とにかくお疲れ様でした。


多分です。

人にはその人だけの金メダルがあるんだと思います。もちろん私、あんこにもあんこだけの金メダルがございます。

その「自分だけの金メダル」をいつの日か手に入れることが大切なことなのではないでしょうか?

そう思います。
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DATE: 2008/09/20(土)   CATEGORY: 雑記
こんな日だってあるんです。
田舎講師のあんこです。

台風が近づいているからでしょうか。

雨が降っています。

夜の雨に煙草の煙、そしてステレオから流れてくるwyolicaの曲。


たまにはいいじゃないですか。

こんな風に感傷的になってしまう夜だって田舎講師にもあるんです。


 
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DATE: 2008/09/19(金)   CATEGORY: 雑記
授業の後には。
田舎講師のあんこです。

皆さん、授業お疲れ様でした。

授業が終わったら、私、あんこは珈琲を入れましょう。

珈琲

だから皆さん、マグカップを忘れずに。

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DATE: 2008/09/17(水)   CATEGORY: 雑記
よくできました。
田舎講師のあんこです。

私、あんこの日本史講座は、文化史と近現代史の小テストがございます。

少しでも授業の復習になれば…と思い、小テストを作りました。

よくできました。

小テストに合格したら、このようなハンコが押されます。

「よくできました」を10コ集めると…

それは集めてからのお楽しみ♪



これから徐々に種類を増やそうと思います。

リクエストがあれば、私、あんこまで。


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DATE: 2008/09/17(水)   CATEGORY: 雑記
魔法の料理。②
田舎講師のあんこです。

本日、私、あんこは魔法の料理を食べました。

本当は写真をとってここに載せるつもりでした。

でも、魔法の料理が目の前にくると、そんなことを忘れて一心不乱に食べてしまいました。


私、あんこは意外と食いしん坊なようです。

と、いうわけで魔法の料理はまた次回。
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DATE: 2008/09/15(月)   CATEGORY: 応援団
応援団を考える④
田舎講師のあんこです。

本日はまた応援団の話を。

長い長い愚痴になってしまいそうです。


昨日、埼玉県立松山高等学校應援團の演技披露を見に行った。

OB会で現役生を連れて行ったのだ。

数年前、現役生が東京六大学の応援団を見に行った時に、

「俺たちは高校生だから、ここまでやらなくたっていいじゃん。俺らは俺らでやれば。」

と、言っていたらしい。この話を聞いてOB会で同じ高校生の演技を見せようという企画を打ち出したのだ。正直、俺自身ずっと現役生の面倒を見てきたわけではない。試合に行った、そしてその時に見た、という程度だ。昨日のように長時間現役生と一緒にいたのは卒業して初めてだろう。

「今日は腰パンもしてないし、こう見るとうちの団も良く見えるな。」

俺が現役生を見た時に正直に出た言葉だ。しかし、OB会に後輩はこの一言を聞き逃さなかった。

「そんな言葉が先輩の口から出るなんてガッカリです。」

そうなんだ。確かに現役の頃は腰パンなんかあり得なかった。しかし、現役は違う。むしろ腰パンが普通だと思い込んでいる。そんな姿を数年間見て来たからだろうか。腰パンではない姿を見ただけで感動してしまったのだ。

しかし、メッキはすぐに剥がれる。

他校の応援団に対しての礼が取れない。携帯電話を所かまわずいじくる。

礼節を重んじるのが応援団のはずだが、あの姿を見るととても応援団とは言い難い。


昨日の松山高等学校應援團の演技披露を彼等がどう受け止めたのかは分からない。

しかし、昨日が応援団とOB会にとって再出発の日なのだと信じつつ、今回はここで筆を置くこととする。
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DATE: 2008/09/14(日)   CATEGORY: 応援団
決戦は日曜日!
田舎講師のあんこです。

昔、ドリカムに『決戦は金曜日』という曲がありましたが、私、あんこにとっては明日が決戦は日曜日!

なんです。


いつもいつも戦いの毎日ですが、明日こそは決戦なんです。

皆様、どうか、どうか私、あんこの無事の生還をご期待下さい。
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DATE: 2008/09/12(金)   CATEGORY: 雑記
魔法の料理。
田舎講師のあんこです。

昔、昔のお話です。

ファミレスで友人と食事している時のことでした。もう4年も前でしょうか。

隣の席に80後半と思われるおばあちゃんが、家族とともにやってきました。ファミレスにおばあちゃんというだけで珍しいと思ったのですが、おばあちゃんに私、あんこは驚かされました。

と、いうのは、おばあちゃんがハンバーグを頼んだからです。

娘さん(お嫁さんか?)はおばあちゃんにしきりに雑炊を勧めていたのですが、

「孫たちと同じ物が良い」

と、ハンバーグを頼んだのでした。

純粋にハンバーグが食べたかったのかもしれません。しかし、私、あんこは深読みする方なので、もしかしたら孫と同じものを食べる、ということがおばあちゃんにとっては嬉しいことなのかもしれない、と思ったのです。もしかしたら「孫と同じもの」というのがおばあちゃんにとっては魔法の料理なのかもしれません。

私、あんこの家の近くに住んでいるおじいちゃんは、ハンバーガーが好きだそうです。近所の人たちは、おじいちゃんとハンバーガー、というギャップに笑っています。でも、私、あんこはちっともおかしくなんかありません。

おじいちゃんは戦前、東京の大学に通う学生でした。ハンバーガーとはその頃に出会ったそうです。おじいちゃんにとっては、ハンバーガーが若き日を思い出させてくれる魔法の料理なのでしょう。

と、私、あんこは勝手に思っているので、おかしくなんかありません。


私、あんこにも魔法の料理があります。

その話はまた今度。

皆さんにも魔法の料理はありますか?
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DATE: 2008/09/11(木)   CATEGORY: 歴史
縁切寺に関して思うこと。
田舎講師のあんこです。

たまには歴史の話をひとつ。

縁切寺

と呼ばれるお寺がございます。日本史の入試で問われることもあります。多くの場合、

鎌倉東慶時を答えれば正解です。最もメジャーな縁切寺です。江戸時代は家長、つまり旦那さんの権力が強すぎたため、旦那さんが奥さんを気に入らなければ、「三行半」と呼ばれる離縁状を書けば離婚が成立してしまったわけです。

しかし、夫婦ってそんな簡単ななものじゃあないでしょう。奥さんが別れたいと思う場合だって多々あるでしょう。しかし、江戸時代は家長権が強すぎたため、奥さんから離縁を申し出るなんて以ての外だったんです。

そこで縁切寺です。

ここに逃げ込めば、尼修業をしなければなりませんが、離縁させてくれるのでした。

そして、大体の場合は先述したように縁切寺に関しては鎌倉東慶寺を答えさせる問題なのですが、縁切寺は鎌倉東慶寺だけではありません。上野(こうずけ・現群馬県)の満徳寺も有名です。

しかし、入試で問われるのはやはり鎌倉東慶寺でしょう。満徳寺が問われることはあまりありません。


私、あんこは昔大失恋をしました。飯が咽喉を通らないというのはこのことか。と思いました。思い立って京都に失恋旅行をしました。

その時、偶然にも縁切神社なるものを発見しました。蓮華王院(三十三間堂)の近くだったと思います。この未練から解放してくれるなら…と思い、行ってみました。

短冊に願いを書いて境内の木に吊るすのですが、背筋が凍る思いでした。

私、あんこの失恋なんてかわいいものでした。

世の中には間違いを起して家族を困らせる男性が多いのかもしれませんね。

京都は恋愛成就の神社も多いですが、この様な神社もあるんですね。


私、あんこは今年「縁」があって10人の生徒と楽しくやっています。

9人の姫君と1人の若君です。

授業はしていませんが、仲良くしてくれる若君もいます。


私、あんこはこの「縁」を大切にしたいと思います。

昼ごはんを食べて、ヒゲを剃ったら今日も戦いの始まりです。
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DATE: 2008/09/09(火)   CATEGORY: 雑記
ちゃんとひげも剃りました。
田舎講師のあんこです。

昼ご飯を食べて、風呂に入って、ひげも剃って、今日は眉毛まで整えました。

これから出勤です。

戦いの始まりです。
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DATE: 2008/09/09(火)   CATEGORY: 雑記
なんだか今日は眠いんです。
田舎講師のあんこです。

悪夢を見ました。

目が覚めたとき、息が切れていました。

試験が全然できない夢でした。

それでいて、その試験は卒業がかかっている試験でした。

やべーーーーー!!!!!

ってなって目が覚めました。

息が切れていました。


今日は田舎講師にとって眠い眠い1日でした。

と、いうわけで、夜更かしが好きな私、あんこは寝ます。
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DATE: 2008/09/08(月)   CATEGORY: 応援団
応援団を考える③
田舎講師のあんこです。

昨日、応援団の後輩が我が家に遊びに来ました。

2つ下の代の男で、現役当時は副団長を務めた男です。

昨日は彼と語り明かしました。

今日は彼との思い出話をひとつ。


「俺は副団長になるのは大分渋ったんです。」

と、彼は言っていました。


私の母校の応援団では、3年生になると腕章に好きな言葉を入れることができました。しかし、団長・副団長は別でした。腕章には「団長」「副団長」と、入れなければなりませんでした。

団長、副団長以外の3年生は思い思いの言葉を腕章に入れるわけですね。

※現在は自分が任された役職名を入れるため、好きな言葉ではないようです。

「俺は先輩と同じ言葉を入れたかったから、副団長って入れるのは抵抗があったんです。」


熱い熱い男です。彼は。

彼のような後輩がいてくれるからこそ、私、あんこはこれまでやってこれたようなものです。

そして、私、あんこがどんな言葉を腕章に入れたのか、ということは今回は秘密にしておきましょう。

それでは、塾生の皆様。全国の皆様。おやすみなさい。

明日の田舎講師はいつもよりちょっぴり早めに出勤する予定です。
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DATE: 2008/09/05(金)   CATEGORY: 雑記
浮浪雲に感動する瞬間があるんです。
田舎講師のあんこです。

私、あんこが漫画が好き、ということはこれをご覧になる方々はもうご理解していただいていると思います。

『浮浪雲』

という漫画がございます。ジョージ秋山の漫画です。

時は江戸時代末期、品川宿が舞台の問屋場の頭が主人公のお話です。

問屋場の頭=現代で言えば、佐○急便とか、黒猫○マトの社長みたいな感じでしょうか。それに加え、タクシー会社も経営している、みたいな感じでしょう。たぶん。

遊び好き、お酒好き、女好き、という浮浪雲(はぐれぐも)が問屋場の頭です。

彼には奥さんと子どもが2人います。兄・妹という兄弟です。お兄さんは新之助、妹はお花といいます。

新之助は学問好きで将来医者を志す少年、お花はお転婆な女のコです。


この『浮浪雲』に感動させられてしまうんです。



「頭でっかちもいいけど、心でっかちになって下さい。」


浮浪雲が息子の新之助に言った言葉です。



私の父も若い頃『浮浪雲』が好きだったそうです。しかし、ある時、読むことを止めたそうです。

「俺は浮浪雲のようにはなれん。」

それで読むのを止めてしまったそうです。


私、あんこも浮浪雲の器量はないと思います。

自分が教えている生徒の成績が上がったりすると、素直に喜んでしまいます。そして、私自身は授業で知識を生徒に伝えているわけですが…

「心でっかちになって下さい。」

田舎講師の願いです。
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DATE: 2008/09/04(木)   CATEGORY: 雑記
この夜が明けないのならば。
田舎講師のあんこです。



この夜が明けないのならば
魚になってさ 泳ぎ続けるの
指先たより 薄暗がり
ずっと海を探すの

この夜があけないのならば
一人になってさ 泳いでゆきたい
強がりを捨て 薄暗がり
きっと誰かのもとへ


ええ、ええ。分かりますよ。私、あんこがこんなことを口ずさんでいたら……ですよね。

皆様、ご安心下さい。私、あんこが口ずさんでいるわけではございません。


桃乃未琴「この夜が明けないのならば」

という曲です。

何だか夜に聞きたくなる曲なんです。

塾生の皆様。全国の皆様。おやすみなさい。

と、いうわけで、田舎講師の朝はゆっくりなのです。
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DATE: 2008/09/03(水)   CATEGORY: 歴史
織田信長について考える②
田舎講師のあんこです。

田舎講師の朝はゆっくりです。

昨日、フトンの中でまたまた織田信長のエピソードを思い出しました。

今日は再び織田信長の話をひとつ。


「わしの息子たちは尾張の婿殿の前に馬を繋ぐことになるだろう。」
美濃の戦国大名、マムシの異名を持つ斉藤道三の言葉です。自分の息子たちは信長の軍門に降る、という意味でしょう。これは斉藤道三が信長に謁見した時に漏らした言葉だそうです。

と、いうのは、実は信長の正室である濃姫(のうひめ)は、斉藤道三の娘なのですね。信長は斉藤道三にとっては婿殿となるわけです。

義理の父・斉藤道三と義理の息子・織田信長が尾張と美濃の国境付近で対峙した時のお話です。


斉藤道三は婿殿が本当に「うつけ」なのかどうか見極めるために、信長が居城を出て会見の場へ向かう途中、信長の服装が見たくて、付近の農家の家に隠れて信長を観察しました。

確かに服装や外見は人を判断する材料のひとつになり得るでしょう。

信長が現われました。

道三は呆気に取られました。

と、いうのは、信長が着ていた着物には男の男根が刺繍されていたのです。

道三は信長を「うつけ」と判断しました。同時に道三も正装を脱ぎ捨て、平服で信長を迎えることにしました。

しかし、会見の場に現われた信長は正装で現われ、慇懃に道三に挨拶したのです。

「織田上総介信長でござる。」

と。

※この当時、信長が朝廷から得ていた官位は上総介(かずさのすけ)でした。

逆に恥ずかしい思いをしてしまったのは道三です。正装を脱ぎ捨て、平服で会見してしまったのですから。そしてこの時に信長の才能を見出し、

「わしの息子たちは尾張の婿殿の前に馬を繋ぐこととなるだろう。」

と家臣に漏らしたと伝えられています。

このエピソードを、今日、私たちはどのように受け止めれば良いのでしょうか。

以下は私、あんこの私見です。

人を見た目で判断してはいけない。
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DATE: 2008/09/03(水)   CATEGORY: 歴史
織田信長について考える。
田舎講師のあんこです。

本日、織田信長を授業で取り扱いました。

授業では語りきれないことが沢山ある人物です。

今日はそんな織田信長の話をひとつ。


私、あんこは信長は苦悩の人だったと思うのです。


信長が織田家を相続して間もない頃の出来事です。

信長は「尾張のうつけ」で通っていました。守役(教育係)の平手政秀(ひらてまさひで)を困らせ、父親の葬儀にも喪服では出席せず、焼香の際に位牌に灰を投げつけるような有り様でした。

一方で弟・信行(のぶゆき)は礼儀正しく、頭もそこそこ。織田家の家臣たちは信長ではなく、弟・信行に織田家の相続を望んだといいます。

後の織田家の重臣・柴田勝家(しばたかついえ)も信行に家督を望んだひとりでした。

父・信秀(のぶひで)の死後、家督を相続した信長に対し、信行は反旗を翻しました。柴田勝家も信行に味方し、信長に決戦を挑みます。

織田家の家督を巡った兄弟対決の勃発です。


勝利を収めたのは兄・信長でした。

信行の反乱は成功せず、信長の前に屈します。その際に、柴田勝家らは許されましたが、実弟・信行は処刑されてしまいます。信行を生かしてしまっては、またいずれ自分に逆らうことを予感したのでしょうか。それとも、家臣一同への戒めのために涙を呑んで処刑したのでしょうか。


真相は私、あんこには解りかねます。

しかし、弟がいる兄の立場として、弟と戦わなければならない、というのは断腸の思いではなかったのだろうか、と想像します。

とにかく、こうして織田家の内紛を治め、信長は天下布武に乗り出すわけです。


信長は非常に興味深い人物だと思います。様々なゲームにも登場しますし、熱狂的な信長ファンもいます。彼の激しい生涯に魅せられているのでしょうか。

確かに、私、あんこも一応男ですので、信長の激しい生涯に魅せらます。しかし、その反面で、苦悩の人だったと思うのです。
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DATE: 2008/09/02(火)   CATEGORY: 雑記
田舎講師の叫び
再び、田舎講師のあんこです。

少し、叫ばせて下さい。

事前に断っておきますが、私自身が全て正しいとは思っておりません。また、私が思い込んでいるだけかしれませんので、ご批判はお手柔らかに。


私が知っている進学校は、やたらと国公立への進学率というものを全面的に推しだしています。私自身が受けた進路指導もそうでした。

これは正しいのでしょうか。

本人が決めることだと思います。教師はあくまでそれを手助けする存在なのではないでしょうか。

大学ではどんな勉強をしたいのか、そして卒業後はどんな仕事をして、どんな風に生きていくのか。

高校生にはこのことを本気で考えて欲しいと思います。そして、それに合った進路を探すべきです。教師はそれを手助けするのが本筋ではないでしょうか。

しかし、実際、大学受験を主眼とする進学校で、将来のことを本気で考えさせる瞬間はあるのでしょうか。

私自身は無かったように思います。

進学校には進学校の事情があるのかもしれません。しかし、生徒に将来のことを本気で考えさせずに、何が進路指導なんでしょうか。

学校の実績を上げることが進路指導なのでしょうか。

何か違うような気がしてならないのです。

中学校で職業体験学習を実践している学校は多いと思います。中学生にとって職業を体験するのは良い経験になると思います。

しかし、本当にこの実践が必要なのは、高校生なのではないでしょうか。

そして、自分の将来のことを本気で考える時間が必要なのではないでしょうか。

進学校の先生が皆が皆、進学率を上げることだけを考えているとは思いませんが、進路指導そのもに何となく疑問を感じるのです。

田舎講師の叫びです。ご批判はお手柔らかに。
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DATE: 2008/09/02(火)   CATEGORY: コーヒー
コーヒー物語②
田舎講師のあんこです。

私、あんこはそろそろ裏の部屋(生徒がご飯食べたり、講師が休憩している部屋のこと)でコーヒーを淹れようと思います。


今日はコーヒーにまつわる思い出話をひとつ。

私、あんこが本気でコーヒーを淹れ始めたのは、大学院時代でした。

前回、研究室に足りないのはコーヒーだ!ということに気付いたお話はしましたが、早速問題が勃発しました。

コーヒー豆はどこで買う?


1番最初はスター○ックスの豆から始めました。しかし、求めていたのはそれではなかったのです。何と言うか、もう少し家庭的なお店で豆を買いたかったし、店の人と仲良くなりたかったので、何か違ったんです。そこで、暫くはコーヒー豆屋さんを探し続けました。

灯台下暗しとは良く言ったものです。

大学のすぐ側に、いい店を見つけました。ちょうど去年の今頃でしょうか。

ドアを開けると、コーヒーの香りが漂い、お母さんが笑顔で迎えてくれるお店です。

http://mamepot.com/

このお店で大分コーヒーの勉強をさせていただきました。

お店のお母さんとも多分仲良くなれたはずです。研究室でも人気が高かったです。コーヒーを飲みながら雑談し、コーヒーをもう一杯。という日々が研究室に訪れました。お母さんには感謝です。


私、あんこが卒業する時の出来事です。隣の研究室の人が、

「お世話になったあんこに。」

と、このお店で買ったコーヒーを贈ってくれました。あの人は元気なのでしょうか。
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