田舎講師
片田舎の塾の講師です。 生徒との悪戦苦闘の日々を綴っています。
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DATE: 2008/08/14(木)   CATEGORY: 歴史
旭将軍木曽義仲と今井四郎兼平
田舎講師のあんこです。

源義仲こと木曽義仲は源頼朝の従兄弟です。以仁王の令旨により平氏打倒のために立ち上がった源氏の武将です。

源義仲は信濃(現・長野県)の木曽谷で挙兵しました。そして、平氏の平維盛(たいらのこれもり)と加賀・越前の国境付近の倶利伽羅峠(くりからとうげ)で衝突しました。

昼間の戦いは五分五分でした。

義仲はそこで、夜に寝静まった平氏軍を急襲します。

ただの夜襲ではございません。

牛の角に燃え盛る松明をくくりつけて、牛に平氏の陣に突撃させたのです。平氏軍はこの牛の突撃から逃げ惑い、多くの者が崖下に転落してしまいました。

義仲は平氏軍に勝利を収め、都に軍を進めます。

しかし、都は都で養和の大飢饉の真っ最中で、食糧は無く、義仲軍は一般人から食糧を取り上げ、女をさらい・・・つまりやりたい放題でした。

挙句の果てには後白河法皇を幽閉し、強引に征夷大将軍の院宣を引き出します。

義仲は将軍となり、旭将軍(あさひしょうぐん)と呼ばれるようになります。これは、朝日のように勢い良く登る、という解釈もできますが、朝日は昇ったら沈むだけ、という解釈もあります。この旭将軍という呼び方を考えたのは義仲に幽閉されている後白河法皇ですから、後者の解釈が正しいのかもしれません。

程なく後白河法皇は源頼朝に義仲追討の院宣を下します。これにより、頼朝は鎌倉から弟である範頼・義経を派遣します。

平氏打倒のために立ち上がった源氏でしたが、源氏同士の戦いが始まったのです。

義仲軍は敗退してしまいます。都でやりたい放題だったため、兵も集まらなかったのです。


最期まで義仲と戦ったのは、妻・巴御前(ともえごぜん)木曽谷で育った幼馴染たちでした。

幼馴染の一人が、今井四郎兼平(いまいしろうかねひら)です。彼は義仲と乳人(めのと)でした。大奥という番組がありましたが、あれを見ていた人は分かり易いかもしれません。高級貴族や源氏や平氏の子どもたちは、生れるとすぐに母親から引き離され、母親と同じ頃に出産を向かえた女の人に預けられ、その女の人に育てられるのです。生みの親と育ての親がいるのです。

つまり、生れたばかりの義仲は四郎兼平の母親に預けられ、四郎兼平と共に育った血の繋がりは無い兄弟だったのです。木曽谷から最期まで一緒だったのです。

今井四郎兼平は義仲が討ち死にすると、自らも刀を飲み込み義仲の後を追ったとされています。


私、あんこが学生時代に1番仲良くしたのは今井君でした。今井君は四国・愛媛出身の武将です。四郎兼平の子孫なのかもしれません。

今日は2年振りに彼と古巣である高崎を訪れることになっています。
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