田舎講師
片田舎の塾の講師です。 生徒との悪戦苦闘の日々を綴っています。
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DATE: 2008/09/03(水)   CATEGORY: 歴史
織田信長について考える②
田舎講師のあんこです。

田舎講師の朝はゆっくりです。

昨日、フトンの中でまたまた織田信長のエピソードを思い出しました。

今日は再び織田信長の話をひとつ。


「わしの息子たちは尾張の婿殿の前に馬を繋ぐことになるだろう。」
美濃の戦国大名、マムシの異名を持つ斉藤道三の言葉です。自分の息子たちは信長の軍門に降る、という意味でしょう。これは斉藤道三が信長に謁見した時に漏らした言葉だそうです。

と、いうのは、実は信長の正室である濃姫(のうひめ)は、斉藤道三の娘なのですね。信長は斉藤道三にとっては婿殿となるわけです。

義理の父・斉藤道三と義理の息子・織田信長が尾張と美濃の国境付近で対峙した時のお話です。


斉藤道三は婿殿が本当に「うつけ」なのかどうか見極めるために、信長が居城を出て会見の場へ向かう途中、信長の服装が見たくて、付近の農家の家に隠れて信長を観察しました。

確かに服装や外見は人を判断する材料のひとつになり得るでしょう。

信長が現われました。

道三は呆気に取られました。

と、いうのは、信長が着ていた着物には男の男根が刺繍されていたのです。

道三は信長を「うつけ」と判断しました。同時に道三も正装を脱ぎ捨て、平服で信長を迎えることにしました。

しかし、会見の場に現われた信長は正装で現われ、慇懃に道三に挨拶したのです。

「織田上総介信長でござる。」

と。

※この当時、信長が朝廷から得ていた官位は上総介(かずさのすけ)でした。

逆に恥ずかしい思いをしてしまったのは道三です。正装を脱ぎ捨て、平服で会見してしまったのですから。そしてこの時に信長の才能を見出し、

「わしの息子たちは尾張の婿殿の前に馬を繋ぐこととなるだろう。」

と家臣に漏らしたと伝えられています。

このエピソードを、今日、私たちはどのように受け止めれば良いのでしょうか。

以下は私、あんこの私見です。

人を見た目で判断してはいけない。
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