田舎講師
片田舎の塾の講師です。 生徒との悪戦苦闘の日々を綴っています。
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DATE: 2008/09/26(金)   CATEGORY: 歴史
吉村寅太郎という男
田舎講師のあんこです。

たまには歴史の話をひとつ。

幕末のお話です。天誅組の変という事件がありました。

1853年のペリー来航以来、国内は尊王攘夷論と公武合体論でてんやわんやの大騒ぎ。長州藩(現山口県)は尊王攘夷の急先鋒でした。外国嫌いの孝明天皇を中心とする公家に接触し、千年王城の都、京都を攘夷一色で染めていったのです。

この長州藩の尊王攘夷運動に触発され、全国から脱藩浪士たちが京都へ集結します。志を持った志士たちです。中には「天誅」と称して幕府側の人間を殺害したり、公武合体派の公家の家へ殺害した人間の耳や手を届けたり、脅迫したりと、やりたい放題です。彼等のバックには長州藩や土佐藩の土佐勤皇党(土佐藩内部の尊王攘夷派)がいました。

しかし、1854年の日米和親条約、そして1858年の日米修好通商条約により欧米列強との貿易は開始され、幕府首脳は攘夷よりも公武合体を推し進めました。

しかし、京都の天皇・公家たちは尊王攘夷を唱えます。

そんな時、京都守護職の松平容保の会津藩と、島津久光の薩摩藩は接近し、尊王攘夷の急先鋒である長州藩を追い落としにかかります。いわゆる「八月十八日」の政変です。攘夷派の公家に反対している公家勢力を薩摩藩と会津藩で抱き込み、孝明天皇もコロっと攘夷派から公武合体派に転んでしまいます。

「八月十八日の政変」により長州藩は御所の門の警備を解かれ、三条実美ら尊王攘夷を主張した7人の公家たちと共に国へ引き上げます。

この時に困ったのは長州藩の尊王攘夷運動に触発されて京都に集結した志士たちでした。彼等は脱藩という大罪を犯して京都へ駆けつけたため、自分の国に帰ることは出来ません。脱藩は自分の主君を裏切る行為なので、見つかり次第処刑されてしまいます。

吉村寅太郎も困り果てた志士のひとりでした。

吉村寅太郎は土佐藩を脱藩し、京都へ駆けつけた志士でした。もちろん国許へは帰れません。そして、長州藩士でもありませんから、長州へ向かうことも出来ませんでした。

そこで、吉村寅太郎は無謀にも仲間を集めて幕府を倒すために大和の吉野で挙兵します。

いわゆる「天誅組の変」です。

天誅組はあっけなく幕府軍に敗れてしまいますが、最も早い段階での倒幕運動として今日に語り次がれています。


吉野山 風に乱るる紅葉葉(もみじは)は
我が打つ太刀の 血煙と見よ

吉村寅太郎の辞世の句です。

吉野山が紅葉で赤く染まったなら、吉村が戦っているのだ、と俺を思い出してくれ。と伝えたかったのでしょうか。

もうすぐ紅葉の季節です。


ここまで読んで下さった皆様。お疲れ様でした。
生徒の皆さん。幕末の流れが少しは理解できましたか?

田舎講師はもっと勉強が必要ですね。頑張ります。
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COMMENT

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● 七卿落ちの事後から吉村寅太郎をあげるところが面白いです。
雪虫の伝説 | URL | 2008/09/26(金) 23:44 [EDIT]
彼は平野国臣にあこがれて土佐からあがったのでしたね。私は平野もけっこう好きなんです。
彼らの敗れ方にロマンを感じます。

おっと認証キーワードが3の倍数ばかりです。4回バカになれました。

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