皇弟
田舎講師のあんこです。
先日に引き続き、満州一万年王朝の話の続きを。
愛新覚羅溥儀には弟がいました。
愛新覚羅溥傑
です。
皇弟です。
実は、私あんこは不勉強で溥傑のことに関しては自信がございません。たった一度だけです。一度だけゼミで溥傑の妻・嵯峨浩(さがひろ)のことを取り扱ったテーマで発表したことがあります。今日はそんな記憶の欠片を少しだけかき集めてみましょう。
溥傑の妻は日本人です。嵯峨公爵家から妻を迎えたのです。
清は滅び、溥儀とその家族は紫禁城を追われ、天津の租界で生活していた頃だったと思います。満州に夢を馳せる関東軍は満州一族に接近し、溥傑を日本に留学させました。日本の陸軍士官学校にです。
だから溥傑は皇弟であると同時に日本の軍人でもあります。
日本に留学していた時に嵯峨浩と結ばれています。結婚式の式場は九段の陸軍会館だったと思います。
満州皇帝・溥儀に子どもが生れれば世継ぎとして満州国は満州族が世襲することとなりますが、溥儀は子宝に恵まれず、ようやく皇后が妊娠したと思ったら子どもの父親はなんと皇后付きの運転手だったのです。
後日談となりますが、運転手は殺され、皇后の子どもは死産だった。と伝えられています。本当に死産だったかどうかは皆さんのご想像に任せましょう。
一方で、溥傑と嵯峨浩の間に子どもが生れれば、半分は日本の血が流れた皇帝が誕生するわけです。暴走する関東軍の策略だったとも考えられます。しかし、「泣く子もだまる鬼の関東軍」でも感情までは自由にコントロールすることは不可能でした。二人の間には「愛」があったのです。
時代に翻弄された夫婦ですが、そこには国境を越えた「愛」があったのです。
と結べば少しは格好がつくでしょうか?
とにかく、です。
もし、興味が沸いたら、嵯峨浩の自伝『流転の王妃』を手にとってみて下さい。
今日はフトンを干したので、フカフカです。
先日に引き続き、満州一万年王朝の話の続きを。
愛新覚羅溥儀には弟がいました。
愛新覚羅溥傑
です。
皇弟です。
実は、私あんこは不勉強で溥傑のことに関しては自信がございません。たった一度だけです。一度だけゼミで溥傑の妻・嵯峨浩(さがひろ)のことを取り扱ったテーマで発表したことがあります。今日はそんな記憶の欠片を少しだけかき集めてみましょう。
溥傑の妻は日本人です。嵯峨公爵家から妻を迎えたのです。
清は滅び、溥儀とその家族は紫禁城を追われ、天津の租界で生活していた頃だったと思います。満州に夢を馳せる関東軍は満州一族に接近し、溥傑を日本に留学させました。日本の陸軍士官学校にです。
だから溥傑は皇弟であると同時に日本の軍人でもあります。
日本に留学していた時に嵯峨浩と結ばれています。結婚式の式場は九段の陸軍会館だったと思います。
満州皇帝・溥儀に子どもが生れれば世継ぎとして満州国は満州族が世襲することとなりますが、溥儀は子宝に恵まれず、ようやく皇后が妊娠したと思ったら子どもの父親はなんと皇后付きの運転手だったのです。
後日談となりますが、運転手は殺され、皇后の子どもは死産だった。と伝えられています。本当に死産だったかどうかは皆さんのご想像に任せましょう。
一方で、溥傑と嵯峨浩の間に子どもが生れれば、半分は日本の血が流れた皇帝が誕生するわけです。暴走する関東軍の策略だったとも考えられます。しかし、「泣く子もだまる鬼の関東軍」でも感情までは自由にコントロールすることは不可能でした。二人の間には「愛」があったのです。
時代に翻弄された夫婦ですが、そこには国境を越えた「愛」があったのです。
と結べば少しは格好がつくでしょうか?
とにかく、です。
もし、興味が沸いたら、嵯峨浩の自伝『流転の王妃』を手にとってみて下さい。
今日はフトンを干したので、フカフカです。
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